2016年4月4日月曜日

死ぬ覚悟

作家の曽野綾子さんが、高齢者は適当な時に死ぬ義務を忘れてしまっていませんか?と語る。さらに、いくらでも生きたいは、傲慢、と言い切り、ある年齢が来たら若い人に機会を譲る姿勢が大事と説く。高齢者の言うことを聴くのは美徳などというのは、もはやとっくの過去の話。高齢者が多額の年金や退職金をもらったり、社会保障制度で優遇されるのは、過去の話になりつつあるべきだ。老害という言葉がある。車でアクセルとブレーキを踏み間違えて、コンビニにつっこんだり、万引きする高齢の割合の多さ、キレまくる老人。確かに品のない話ではあるが、曽野綾子さんの言うことも一理ある。年金などは、税金ですべてまかない、年齢による差をなくす。極論かもしれないが、今の政治家は、責任を持たないであろう。それでは、曽野綾子さんや政治家、ましては私は、『死ぬ義務』どう思っているのかよく考えるひつようがある。年を重ねて死を語るには、まず己の死を語るのが作法ではないか、という宮子あずささんの主張は正論かもしれない。



0 件のコメント:

コメントを投稿