2017年5月15日月曜日

きょう沖縄復帰45年 基地の過重負担いまだ



沖縄の施政権が米国から日本に返還された「沖縄県の本土復帰」から15日で、満45年を迎えた。在日米軍専用施設面積の割合は1972年の58・7%から、最大で75%にまで膨らみ、昨年12月には北部訓練場のうち4千ヘクタールが返還され、70・6%とわずかに減ったが依然、基地の過重負担がのしかかったままだ。
米軍普天間飛行場の移設に伴う名護市辺野古での新基地建設で、翁長武氏知事は「沖縄戦で奪った土地を返すのに、新たな土地を沖縄側で用意しろというのは理不尽だ」と反対姿勢を貫く。政府は意に介さず先月25日には、埋め立て本体工事に着手した。対立の溝は深まっている。
この1年間で、元海兵隊員による女性暴行事件やAV8BハリアーやMV22オスプレイの墜落、恩納村での流弾事件など「基地がある故の事件・事故」が続発。在沖縄米軍基地の面積の7割、兵力の6割を占める海兵隊の撤退を求めるなど、具体的な動きが出ている。
経済では、年間の有効求人倍率が復帰後初めて1倍を超え、完全失業率も4%台で推移。主要産業の観光を中心に「自立型経済」構築への兆しが出ている。
沖縄振興法に基づき、県が初めて主体的に策定した沖縄21世紀ビジョンの折り返し点となる。所得格差の解消や子どもの貧困対策、大型MICE施設を中心とした産業施策の推進、米軍基地の跡利用計画などの課題に取り組むことになる。

復帰後、沖縄の風景はすっかり変わった。45年も経過すれば変わるのは当然ではあるが、特徴的なのはショッピングモール化、コンビニ化、観光地化が急速に進んだことだ。世代ごとの意識のギャップも大きくなった。県が2013年に実施した県民意識調査によると、しまくとぅばを聞いて「よく分かる」と答えた人は、50代では36・9%だったのに対し、40代は13・1%にとどまった。 40代と50代の間に20ポイント以上の大きな断層がある。
沖縄県立美術館・博物館で開かれている特別展「写真家が見つめた沖縄1972-2017」を見て気付かされるのは、写真家の写真表現にも、世代による表現方法の違いが顕著に見られることだ。84年生まれの気鋭の写真家・石川竜一さんがディレクターを務め、作品選定に当たった。展覧会向けのメッセージで石川さんは語っている「これまでに見られた社会的な立場を中心とした写真に加えて、より個人的な表現としての写真活動が活性化してきた」
不条理な現実と向き合い、抵抗としての表現にこだわってきた前の世代と違って、復帰後世代は問題意識も方法も多様である。出版社のボーダーインクで県産本の編集に当たる75年生まれの喜納えりかさんは言う。「復帰とかドル交換とか、社会を網羅する共通体験が減り、『個』が際だってきた。沖縄を内在させてはいるが、今までの沖縄とは違う」
復帰後に急速に進んだのは、若い世代の意識変化であるが、沖縄全体で見れば、政府不信がこれほど高まった時はない。
前県立博物館・美術館長で考古学者の安里進さんは、3万年余に及ぶ琉球・沖縄史を「日本化と琉球化で揺れ動いてきた歴史」だと指摘。「日本化に続く琉球化という歴史の大きなうねりはすでに起き始めているように思える」(「日本化と琉球化の時代」)と強調する。
喜納さんによると、ボーダーインク発行の「よくわかる御願ハンドブック」は10万部を超えるベストセラーだという。驚異的な数字だ。
大田昌秀さん編著の「写真記録これが沖縄戦だ」も爆発的に売れた。
「肝(ちむ)ぐくる」と「歌三線」と「祖先祭祀(さいし)」。「苦難の歴史」と「シマでの暮らしの記憶」。これらに象徴される沖縄人の自己アイデンティティーは、今も強固で健在だ。
米軍基地の押し付けがあまりにも強引で理不尽であるだけに、自己決定権を求める動きは、かつてないほど高まっている。安里さんの言う「琉球化」とは、こうした動きを指している。
その一方で、復帰の日の「5・15」よりも、同時多発テロが発生した「9・11」、東日本大震災が起きた「3・11」のほうが、はるかに切実、だと感じる人たちが増えていることも間違いない。若い世代が、自発的に沖縄の歴史・文化に接し、基地問題や地域づくりに関わるにはどうすればいいか。新しい発想による取り組みが必要だ。

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