2017年5月8日月曜日

戦闘地域における報道のあり方と日本政府と日本国民の感覚

内戦が続くシリアで武装組織に拘束されたとみられるジャーナリストの安田純平さん(43)の画像が、昨年5月にネットで公開されてから1年になる。この間、新情報はなく、救出動きも聞かれない。シリアではスペインやドイツ、米国などのジャーナリストも拘束されその後、解放された例も少なくない。安田さんの安否が気遣われている。ほぼ同時期にシリア北部でヌスラ戦線に拘束された外国のジャーナリストの解放例も少なくない。いづれも数億円単位の身代金の要求が親族に要求されたそうである。身代金は「支払うと新たな事件を誘発するので拒否」と国連安保理で決議され、各国政府とも「支払い拒否」で一致している。だが、欧米メディアによると、武装組織とパイプのあるカタールなどの協力で交渉し、一定額は支払ったそうだ。安田さんの拘束は続く一方、解放例もある。この明暗は何が原因だろうか。海外のメディア情報に詳しいビデオニュース・ドットコムの神保哲生代表は「戦場といった危険地報道への国民の認識の違いが交渉に影響しているのではないか」と指摘する。危険地報道が必要なのは、当局発表による情報操作で民意が誤った方向に導きかねないからだ。例えば、イラク戦争の開戦理由だった大量破壊兵器は結局みつからなかった。同国での武装組織の拠点とされたファルージャへの攻撃にしても、多数の民間人が犠牲となった。「内戦が現地進行形のシリアでも同様の事態が多発している」(神保代表)「危険地報道への理解からか、日本以外では『自己責任論で人質を非難』という話は聞いたことがない『国民の生命を守る』という国の責任も当たり前に認識されている」04年にイラクで日本人人質事件があった。三人の人質は解放されたが、日本国内で「勝手に危険地に行った」と自己責任論で責められた。今でも、そんな認識は根強く、安田さんの解放に向けての世論は盛り上がっていない。報道通信社アジアプレスの石丸次郎氏は「危険地に行くのは、伝える情報があるから。拘束されたり、命を奪われたりする危険はいくら管理しても、全ては防げない。自国民の救出は政府の責任。安田さんの解放に向けて積極的に動くよう世論を喚起したい」と話した。どうやらこの国民の大多数は真の戦争報道のあり方と国民の知る権利を守ろうと活動しているジャーナリストの活動を全く知ろうとしないように見える。戦争報道とは死をも覚悟しても報道しなければならない、崇高なものなのだ。沢田教一、一ノ瀬泰造、石川文洋、本多勝一、各氏の姿勢は崇高であった。最近はそのようなジャーナリストが日本に少なくなってしまった。また多くの日本人が中東紛争を対岸の火事のように見ているのは嘆かわしいことだ。少なくとも70年代初頭の日本ではそのように考える日本人が少なかったはずだ。今、安倍政権が長期に続き日本人が事なかれ主義に陥っている。


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