2019年6月24日月曜日

74年目の沖縄慰霊の日

昨日、6月23日は、74年目の慰霊の日を沖縄で迎えた。74年。時日の経つのは早い。沖縄全戦没者追悼式が糸満市摩文仁の平和記念公園で行われた。玉城デニー知事は、平和宣言で、辺野古の米軍新基地の建設を断念するように、政府に求めた。それに対し、安倍首相は、建設を進める姿勢を変えなかった。首相のスピーチでは、「ウソつけ!」「ふざけるな!」などのヤジが飛んだ。国会以外では、あまりないような光景だった。また、玉城知事は、スピーチでおきなわ口や英語を交えるという恐らく初めての試みを行った。これは、感動的なスピーチで聴衆から、盛大な拍手を受けていた。







「もう東京五輪どうでも良くなった」

「もう東京五輪どうでも良くなった」
これが、庶民の感覚ではなかろうか?
スポーツに興味がない人にとってはどうでも良いことだ。
インターネットで申し込む事になっている、20日五輪チケットが、一部の希望者が専用サイトで抽選結果を確認したところ申し込み自体が出来ない事例が多数あったとの事。
電話認証に2日間かかった末、申し込みができていなかったという東京都の女性会社員(34)は取材に「システムが複雑すぎてどこで間違えたかわからない。もう五輪はどうでもよくなった」と憤った。

エンブレム盗用問題、会場の経費の膨大になる問題、竹田会長の金銭による候補地の買収問題、桜田前五輪の問題、神宮の森が破壊される等、五輪施設の五輪後の廃墟化になる問題とか多々指摘されている。

昔、巨泉のこんなものいらないという番組があった。「東京五輪」
おもてなし、「表なし」「裏だらけ」だ。

イスタンブールとマドリードに譲ることもほぼ不可能になった。
チケットも販売され、会場もほぼ完成。もはや返上も南海トラフか首都直下型地震、北朝鮮の東京へのミサイル攻撃、大規模テロ、さらなる原発の事故等なければ不可能だ。

とうとう、「東京五輪」を受け入れざるを得なくなったことが確実になった。


2019年6月4日火曜日

川崎殺傷事件

5月28日川崎市麻生区で、カリタス学園の児童が襲われ2人が死亡、20人余りの負傷者を出した。容疑者はその場で、首を切って自殺したというおぞましい事件が起こった。大量刺殺事件というのは、2年に一度くらいの割合で起きている。例えば、2016年の相模原やまゆり苑の事件とか、記憶に新しいのは座間市で白石容疑者が9人を殺害した事件である。今回は、死傷者2名と少ないが、子供が多数負傷している点、容疑者がその場で自殺していて、拡大自殺ではないかという点で大きな論争になっているようだ。基本的に「一人で死ねよ」というのは、至極まっとうな意見なのだが、それを大々的に声高にいうのは、何か冷たい社会のような気がする。アメリカなどではこういう事件が起きれば射殺されるし、中国では、国家批判すれば死刑である。こういう論争が起きること自体日本は、優しい国だ。ところで、興味深い観察だが朝鮮人民共和国では、このような事件は起きるのであろうか。私は起きないと思う。こういう貧しい国では、命の価値が高いのだ。例えば東日本大震災があって数か月は鉄道自殺が極端に少なくなったが、これも同じ現象なのではないか?