2014年10月5日日曜日

ダイエー看板消滅へ

2014年9月24日、イオンは赤字が続く傘下のスーパーのダイエーを2015年1月1日付けで完全子会社化し、2018年をめどに『ダイエー』看板を掲げる店舗をなくす、と発表した。
1985年の10月から、1987年の3月の1年5か月ではあったが、ダイエーの精肉部門に在籍した経験がある筆者には、感慨深いものがある。確かに肉は、安く売っていたことは確かだ。豚肉は、岩手県紫波郡津南村から、国産の良質な豚肉を、例えばスライスで100g 79円とかで、売っていた。瞬く間に売り切れた。店舗に商品が無くならないように補充するのは、大変な労力だったのを覚えている。これでは、利益はたいして出まい。当時売上は日本一だったが、利益はヨーカドーのがはるかに良かったと記憶している。そこにもってして、拡大路線。肉もダイエーミートという別会社を子会社したものであった。昔に入社したものは、荒くれも多かった。そこにもってしての球団経営という利益を度外視した、経営は時代遅れになりつつあった。ホテルなんかも積極的に買収した。そこにもってしてのバブル崩壊。一時再生機構の支援を受けた。再生機構に代わって再建を主導した丸紅も打開策を打ち出せなかった。確かに、私も衣料品なんかをよく利用した。埼玉県志木市の駅前にあった、ダイエーは、良く行った。BUBUというブランドのカセットテープがSONYよりかなり安かったのだ。洋服なんかも、デパートと違い気軽に買えた。当時(1974頃)、ダイエーにもVANというブランドがあって、だいーVANと馬鹿にされていた。そのうちデザインが、ダサくなった。洋服のデザインなんか気にしない私なんか見たいな人間には良かった。しかし時代の波にはついて行けなかった。そのうち洋服売り場は、ガラガラになった。若いお母さん連中が見向きもしなくなった。洋服売り場は、もはや地元の年金生活者の老人しか行かなくなった。そのうち安い洋服は、ユニクロに取られた。電気売場も同じ道を辿った。ヤマダやコジマに流れた。衣服や家電売り場はガラガラになった。
川口のダイエーは12、3年前に潰れたが、現在は、ヤオコーとヤマダ電機とアルペンやダイソーが入っているが、ヤマダ電機は、地デジのテレビの特需以降は、ガラガラである。よくあれで潰れないな。多分、正社員は殆どいないだろう。派遣か、協力会社の人間ばかりである。次は、ヤマダとコジマが危ないと私はみている。



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