2014年10月5日日曜日

あの人に迫る 本多勝一氏

東京新聞の名物コーナー、あの人に迫るに本多勝一氏が出ていた。(2014 10 05 朝刊)
しかも、顔写真入りである。本多勝一氏は朝日新聞社の記者時代は、サングラスを掛けた写真しか掲載されていなかった。その過激な言論とは裏腹に意外にやさしい顔をしていた。
本多勝一氏は、本当に影響を受けた。図書館に行くと、彼の本が必ず10冊はあり結構目立っていた。最初の出会いは、中学1年の時に、学校の図書館で借りた「カナダエスキモー」これはほんとうに影響された。世界にもこのようなところがあるのだなと。また中学生でも興味を持たせるような平易な文章と内容だった。その後、ニューギニア高地人、アラビア遊牧民と読み進めていって、彼のファンになっていった。このころは、政治的主張は、何もなかった。高校の時は、やっぱり図書館で『戦場の村』や『中国の旅』を読んだ。大学の受験の為に行ったときわ台の図書館では、彼の『貧困なる精神』が全巻置いてあって、受験勉強の間によく読んだものだった。読んでいるうちに閉館時間になってしまうこともよくあった。おかげで?受験勉強はあまり進まなかった。氏も82才ということで、時代を感じる。彼ほどのハッキリモノをいう人は、今の朝日新聞にはいないだろう。もっとも過激な発言は、朝日新聞ではなく、他の雑誌に書いたものだが。実は、大学の探検部に入ったのは彼の影響が大きい。文化人類学的なものをやりたかったのですね。しかし、亜細亜大学の探検部は、青木が原の樹海で自殺者の捜索をしたり、無人島で自活したりする活動が主だった。それはそれで面白かったが、文化人類的なことは、自分ひとりでするしかなかった。その成果は、北海道のアイヌ民族と琉球独立論に結実した。(発表の場は当時は当然なかったが)大阪弁を使う大阪人も、東京人と違って、少しずっこけた感じがしてなかなか興味深いのだ。大阪人は、自分の不幸もギャグのネタにしてしまうたくましさがある。本多氏の話題からそれてしまった。


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